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文化

練習中に私語の多い人

忘年会もなかったが、新年会もないまま今年もさらりと朗読の教室は始まった。
 女性ばかり、それも割りと年配者の集まりなので、ひょっとしたらお付き合いが面倒くさいこともあるんじゃないかと、参加する前には心配していたのだけど、むしろ拍子抜けなくらいあっさりしている奶粉牌子

「このくらいの距離感だから続けていられるんです」と話してくれた人がいた。わたしもそう思う。目立って誰かと誰かが連れ立って帰るとかランチに行くということもなく、皆それぞれにさっさと帰る。使う駅も違ったりするので、同じ方向にぞろぞろということもほとんどない。
 
 会えば親しく話し、和気あいあいと練習をする。一番若いわたしにも分け隔てはなく、3年目くらいなので気心も知れている。でも、深入りはしない。いつもニコニコ明朗集合明朗解散。居心地がいいのは、そういう皆の距離感が似通っているからなんだろう德善健髪
 
 自分の話を始めると長い人や、練習中に私語の多い人、発表会があるというと、どうしようどうしようと不安がって周りを巻き込もうとする人などは、次々に辞めてしまった。ある意味、冷たい……というか、朗読そのものが好きな人が、残っているのかもしれない。
 
 さて、そんな仲間で新しい発表のための準備がはじまった。初めてその台本を黙読した時には胸にこみあげるものがあり、これは涙なしにはできないと思った。実際、静かに泣いている人もいた。

 ところが、声に出してリレー朗読してみると、じぶんの発する言葉にはどこか「うそ」を感じる。もっとも、わたしは演じているだけなのだから、その言葉は「うそ」ではあるし、下手だからと言われれば全くそうなのだけど……。

 初めて黙読した時に感じたものと、自分の声を通して感じるものが微妙に違う。近づけようと練習すればするほど離れていく気がする。悲しいのが当たり前のその場面のそのセリフを、ずっと悲しいと感じ続けることができるだろうか史雲遜

 本番で上手く出来たとしても、それはそれでもうひとりのわたしが、自分のことをしらぁーっと見てしまう気もして、心と言葉と声と身体、その他もろもろ、わたし自身の中の距離感もなかなかむずかしい。
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